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<菅首相>16年ぶり非世襲の首相 市民運動が原点 信念は「政治主導」(毎日新聞)

 4日、民主党の菅直人代表が衆参両院での首相指名選挙で第94代首相に選出された。菅氏は、女性運動の草分けである市川房枝氏の選挙スタッフから身を起こした。鳩山由紀夫前首相や小沢一郎前幹事長ら自民党田中・竹下派出身者とは異質の、市民運動家出身であることが、菅氏の最大の特徴だ。菅首相の横顔や生い立ちを紹介する。【編集委員・中川佳昭】

 衆院初当選(80年)から約13年鳴かず飛ばずだった菅氏の政治的な転機は、94年1月、社会党(当時)亜流の社民連から離れ、武村正義元官房長官率いるさきがけに入党した時と言えるだろう。革新陣営から自民党出身者が大半を占める保守政党に身を投じたことが、今日の「菅首相」を生み出す原点になった。しかも、鳩山前首相がさきがけにいたことが、鳩山氏との共同歩調による旧民主党結成(96年)にもつながる。

 ただ、そうはいっても保守政界の中では異端児だった。市民運動家出身者であるがゆえに、与(よ)党と野(や)党の中間に位置する「ゆ党」的なイメージで、常に受け止められてきた。

 菅氏が96年に厚相(橋本龍太郎内閣=自社さ連立)として初入閣した際の薬害エイズを巡る官僚との対決は、「菅政治」をアピールする上で重要な局面だった。この時の経験に裏打ちされた菅氏の政治信念は、国会内閣制の確立だ。菅氏は、霞が関の中央官僚が「三権分立」を盾に、「行政権は内閣にある。国会(立法府)は行政に介入すべきでない」と主張してきたことを痛烈に批判。「憲法の規定には三権分立はない。国会で多数を得た政権党が行政権を握る」という論を展開した。09年衆院選で民主党が打ち出した「政治主導」は、菅氏が主張する「国会内閣制」と同義語と言える。

 その一方で、民主党の閣僚経験者は「菅さんは見極めが早い。与党になるとただちに与党的な発想に切り替わる。野党時代の概念論はすぐ捨て去る」と語り、菅氏の理想主義と現実主義の二極構造を明らかにしている。

 関係者によると、民主党の政権獲得が目前に迫っていた09年6月、渡辺喜美氏(現みんなの党代表)と会談した菅氏は、同席した鳩山氏とともに「1年未満で政権が崩壊しては大変だ。(官僚中の官僚である)財務省とは最初から争わない」と語ったという。菅氏のリアリストぶりがうかがえる話だが、それでも鳩山政権は、稚拙な政治主導のため8カ月で崩壊した。菅氏が果たして「国会内閣制」を打ち立てられるかどうか、見ものである。

 ◇数々の挫折乗り越え−−16年ぶり非世襲

 菅直人首相は、世襲議員ではない。父が政治家(町長などを含む)でない完全な「非世襲」の首相誕生は、村山富市首相(94年)以来16年ぶり。市民運動家出身の首相も戦後初だ。「社会党では政権交代できない」と訴えて76年の衆院選に初挑戦して以来、筋金入りの「政権交代論者」として活動してきた。四半世紀をかけて首相の座に上り詰めた菅氏の人物像をたどった。

 ▽政界入り

 菅氏は1946年山口県宇部市生まれ。会社員だった父の転勤に伴い東京都三鷹市に転居した縁で、武蔵野市を中心とする衆院東京18区を地盤としている。東京工業大卒業後、弁理士として生計を立てながら市民運動に奔走。故・市川房枝氏を74年の参院選に担ぎ出したのが政界入りのきっかけだ。

 安倍晋三元首相以降4代の首相全員が、1年前後で政権を投げ出している。その遠因として永田町でささやかれるのが「元首相の息子や孫という恵まれた環境によるひ弱さ」。これに対し菅氏の挫折経験は豊富だ。まず、初当選までに3回落選。初当選後は10回連続当選を重ねるが、社会民主連合という少数会派で、質問もなかなかできなかった。その中で編み出したのが「質問主意書」の活用。政府見解の閣議決定を迫る手法は「野党の武器」として定着した。代表選には7回立候補したが、当選は3回。怒りっぽいためにつけられた「イラ菅」というあだ名は、挫折を乗り越える闘志の裏返しだ。

 ▽年金騒動で代表辞任

 最大の挫折経験は04年4月に発覚した年金未加入騒動だろう。後日に役所側のミスだったと判明したが、菅氏自身、自民党の3閣僚を「未納3兄弟」と批判したこともあり、5月には代表辞任に追い込まれた。同年の参院選後の7月には頭を丸め、白装束の「お遍路さん」に。四国八十八カ所巡りはその後も断続的に続けている。

 3日の記者会見で菅氏が小沢氏に「しばらくは静かにしていただいた方がいい」と通告したのは、この時の自らの経験に照らした「忠告」だった可能性もある。

 菅氏の知名度と人気を一気に高めたのが薬害エイズ問題だ。96年1月発足の橋本内閣に厚相として初入閣するや、すぐに官僚に徹底調査を命じ、隠されていた重要資料の「郡司ファイル」を見つけ出させた。菅氏は厚生省の責任を認め、民事訴訟を起こしていた被害者に謝罪し、国との和解に導いた。

 鳩山政権では、副総理兼国家戦略担当相に就任。96年の旧民主党結党以来の盟友・鳩山由紀夫前首相を支えた。「明治維新に匹敵する政治変化だ」と強調し、「政治主導」体制を先導した。今年1月には体調不良で辞任した藤井裕久元財務相の後任に横滑りした。

 国家戦略担当相時代は経済財政、科学技術も担当したうえに、10年度予算編成ではマニフェスト関連予算の削減の調整にもあたった。一方で、鳩山政権崩壊の要因となった米軍普天間飛行場の移設問題にはタッチしなかった。鳩山前首相から「普天間まで菅さんにお願いするわけにはいかない」と配慮されたためだったという。

 政権交代後は「官僚との対決姿勢が弱まった」とも指摘され、財務相として消費税論議の前倒しに言及した際は「財務省に取り込まれた」とやゆする声も上がった。今後の姿勢が注目される。【田中成之、野原大輔】

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福島氏「重大決意を」 社民、連立離脱強まる(産経新聞)

 社民党の福島瑞穂党首は29日朝のTBSテレビ番組で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)移設問題で消費者・少子化担当相を罷免されたことに関し、「個人として罷免されたのではない。重大な決意をしなければならない」と述べ、改めて連立維持は難しいとの考えを表明した。

 福島氏は、連立を解消することで夏の参院選での民主党との選挙協力に悪影響が出るとの懸念に対し「選挙がどうこうという問題ではない。(同県名護市)辺野古に基地という閣議(決定)に署名したらもう沖縄に行けない。もう外を顔を上げて歩けない。それくらいの信義の問題で言ってきたことを実行すべきだ」と強調した。

 同党の又市征治副党首も別の民放テレビ番組で「連立離脱は筋だ」と指摘。離脱の場合は、同党から政府に入る辻元清美国土交通副大臣の辞任に直結するとの見解を示した。また、又市氏は宮崎市内での講演でも福島氏の罷免にふれ、「鳩山内閣はつぶれる。一昨日から民主党の中から鳩山降ろしがとうとう始まった。今は水面下だが大きな動きになる」と述べ、参院選前の首相退陣は不可避との認識を示した。

 一方、福島氏とともにTBS番組に出演した自民党の石破茂政調会長は「辞めるべきは福島さんではない、それは首相だ。『国外、最低でも県外』と発言して衆院選で票を取った。謝ってすむ、軽々しい問題ではない。民意を甘く見るなということだ」と批判した。

 川内博史衆院国土交通委員長(民主党)も同じ番組で、政府方針に対し「賛成しない。辺野古はそもそも無理だ」と述べた。

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